記憶の大崎上島
脚本家・平松恵美子さん

島の仕事図鑑1-8

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山田洋次監督「東京家族」の脚本を手掛けた 平松恵美子さんが語る島風景。

記憶とは不思議なもので、普段全く意識していないことが、思いもかけない時に思いもかけないことをきっかけとして、まざまざと五感によみがえってくるものである。
 ここ数年の私にとってのそれは、寒い冬の後、不意に訪れる暖かい日差しによってもたらされるもので、2012年5月「東京家族」という映画の撮影で訪れた大崎上島のものである。
 瀬戸内の穏やかな潮風と日差しをたっぷり受けて育ったミカン、ネーブル、レモンなどの柑橘類の樹木が放つ爽やかな香りがまずよみがえり、続いて、ロケ地として使わせて頂いた数々の場所(眺めのよい場所に堂々とした姿で佇む圓妙寺、眼下に造船工場や港を見下ろす映画の主人公周吉の家、そこからうねうねと下る細くて急な坂道、そして昔ながらの佇まいと味わいを保つ家並みのある通りなど)が連鎖的に次々とよみがえるのである。
 だが、最も強い記憶は、圓妙寺での撮影後、島の方々が大いに腕を振るって私たちスタッフに食べさせてくださった炊き出しの味噌汁やご飯かもしれない。具だくさんな味噌汁は「大崎上島の味」そのものであった。具材だけを言っているのではない。その味を作り出してくださった大崎上島に暮らす方々の心意気が生み出す味でもあったのではないか。
 大崎上島には橋がかかっていない。本州からはフェリーで渡るしかないのだが、それを不便という言葉ではなく、守り続けたい貴重な環境という言葉に置き換えたい。どこの地方都市に行っても同じような量販店が並ぶ通りを目にすることが多いなか、大崎上島は紛れもなく、大崎上島でしかない。
 私にとって、ぼんやりとした﹁思い出﹂ではなく、鮮烈な「記憶」として、大崎上島が残っているのは、そしておそらくは残り続けるのは、このような理由からかもしれない。
 ああ、それにしても、なんと美味しかった炊き出しの味噌汁、そして燦々と太陽を浴びて育った柑橘類のジャムたちよ!
 山田組 演出部・脚本
 平松 恵美子

島の仕事図鑑目次

【1】海洋土木/パン屋/理容師/電気屋【2】音楽/養殖/警察官/情報通信
【3】教育/工芸/整備士/農家・6次産業【4】映像/喫茶・洋菓子/ソーシャルデザイナー/漁師
【5】農業/介護福祉/海運/宿泊業【6】デザイナー/保育士/物流運送/鍼灸師
【7】何でも屋/造船/団体職員/公務員
【8】山田洋次監督「東京家族」の脚本を手掛けた 平松恵美子さんが語る島風景