スプラウト(発芽野菜)で全国トップの村上農園
苦闘と改革でピンチからの飛躍

株式会社村上農園

 企業は、産業構造の変化や自然災害、風評被害などの外的要因により、不意の経営危機にさらされる。目前で主力商品を買い求める消費者が消えるという、大ピンチでどう振る舞ったか。根本から見直し、飛躍のチャンスをつかんだ広島企業の苦闘と改革の歩みを紹介したい。

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マイクロハーブ

 

 スプラウト(発芽野菜)で全国トップの村上農園(佐伯区)は1996年、いきなり経営危機に見舞われた。大阪府堺市の病原性大腸菌O-157による集団食中毒で、厚生労働省が「カイワレ大根が原因となった可能性が極めて高い」と公表。後に事実無根と判明するが、経営の根幹を成す商品カイワレが、全国のスーパー店頭から一斉に姿を消した。売上高は10億円を割り半減、翌97年には大幅な赤字を計上。7カ所あった生産拠点も3カ所に縮小した。当時、東日本統括部長を務めていた村上清貴社長は、「先代社長が会社を畳もうかと口にするほど危機感が募った。黙っていて黒字になることはない。自分が動かなければ、という一心だった」

 その半年前に開発していた豆とうみょう苗(エンドウの若菜)の本格展開に乗り出す。ルッコラなど日本になかった野菜の開発に力を注ぎ、投資を抑えるため、栽培委託先を探し回った。マーケティング企画課長だった前職・リクルートでの経験を生かしてスーパーに営業を仕掛け、広報活動も積極展開したほか、社員総出で店頭の販売促進を実施。商品開発、営業、配達と自分ができることは何でもやった。「98年に黒字転換したが、とりあえず手を打つしかなく、何とかターゲット層に届いたというのが当時の実感。振り返ると、これを機に収益性の高いビジネスモデルに転換できた」

 その後も海外視察などを重ね、抗酸化力を高めるというスルフォラファンが豊富な「ブロッコリースーパースプラウト」や、広島大と共同開発の「マルチビタミンB12かいわれ」などの機能性野菜を相次ぎ発売し、ヒット商品を連発。2007年に社長就任し、追い風が吹く。食の安全に加え、健康志向から「これを食べてどうなるのか」という効果に、消費者の目が注がれるようになった。

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野菜研究

 

 良い物を作っても売れないことはある。同社はファッション誌が流行を生むかのように、料理レシピの開発や本の発刊、専用サイトの開設などを積極化。年間100を超えるテレビ番組で紹介され、需要を喚起してきた。高価格帯と、不景気でも売れる低価格帯の野菜の両輪で波を受けにくくするなど、油断がない。急ピッチで業績を回復し、18年12月期には11年度決算に比べて3倍以上になる、売上高100億円の大台に乗せる見通し。「みんなと同じことをしては成長しない、新たな価値の創出を目指してきた」

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ワールドコントロールセンター

 

 25年に売上高300億円を掲げる。生産センターは全国9カ所で、新拠点も計画。4月にマイクロハーブを本格発売し、手薄だった業務用を開拓する。今夏に各センターの栽培状況などを管理する「ワールドコントロールセンター」を本社内に完成。将来はAIで誰でも同じ品質を作れる仕組みを諸外国にライセンス供与する計画で、日本の農業を売り込む。