磨きかかる修復の技
喜びと感謝が原動力
株式会社三村松
伝統を守る新たな局面へ
先祖代々伝わる金仏壇を受け継ぎ守っていきたいという声に応えている。経験と感性が求められ、新たに製造するより難易度が高いと言われる修復や修理。新品同様に生まれ変わった仏壇は何物にも代えがたい価値を宿す。生活様式が様変わりし、コンパクトな家具調の仏壇に需要がシフトしているが、三村松は熟練の職人を抱え、仏壇づくりの伝統を次代へ託す。
やりがいが原動力
金仏壇の修理や修復を主に担う吉島工場は1970年、広島市中区に完成した。三村松が発展する礎ともなったマザー工場だ。五代目の三村邦雄社主が戦後の高度成長に伴い、作れば売れる時代に勝機を読み、金仏壇の一貫生産体制を整えた。3年後には鹿児島にも進出し、海外にも直営工場を建設。こうした生産体制の近代化で、2026年も金仏壇製造出荷本数日本一の座を譲らず、47年連続とした(宗教工芸新聞調べ)。吉島工場はその後、4階建て工場棟を新築し、現在に至る。その1日は毎朝、全員で仏に手を合わせることから始まる。精神を清め、己に恥じない仕事に向き合うためだ。
工場は20人ほどが切磋琢磨し、うち女性5人も活躍。その一人は勤務歴30年以上で、「彩色や漆塗りなど修理に必要なあらゆる経験をさせてもらい奥深い」という。ものづくりが好きと、「毎日が楽しく達成感がある」女性、神経を集中して蒔絵筆を振るう女性ら一人欠けても成り立たない。工場長は、「オリジナルのお仏壇が醸す雰囲気や佇まいを壊さないように〝元の姿に戻す〟のは非常に難しい。1本1本、気の抜けない仕事。だからこそ、やりがいがある」と、定規では測ることのできない勘所の技に仕事の妙を感じるという。
手を合わせる心をつなぐ
26年6月、吉島工場に仏壇文化研究所(BBI)のメンバーが集まった。近年は仏壇の無い家庭もあり、供養の簡素化が進む。かつての日本人は感謝や礼儀を示そうと折に触れ手を合わせていたが、そうした機会も次第に減っている。仏壇メーカー・卸の有志らで構成するBBIに参画する六代目の三村和雄社長は、「BBIは同業他社の垣根を越えて仏壇業界の未来を創出し、お仏壇を通じて日本人の精神世界の研究や伝統文化の啓発に努める。工場見学はその活動の一環。感謝と礼儀の文化や心の豊かさを次代につないでいきたい」と語り、伝統技法を残す覚悟だ。
全国から届く依頼
四代目の繁己は海軍軍人として太平洋戦争中、南太平洋で輸送任務に当たっていたが、米国潜水艦の魚雷を受け轟沈。しかし、九死に一生を得て帰国した。原爆投下の日は大竹海兵団の教官を務め、被爆を免れた。原爆で店も自宅も失ったが、職人の嘆願を一身に受け止め、再起を決意。斜屋町(ちぎやちょう・現在の堀川町辺り)に建てたバラックで生まれたのが三村社主だった。
戦後の復興とともに成長を遂げた三村松は、直営10店舗と全国を網羅する卸売体制を敷く。経営環境は厳しさを増すが、品質への信頼は揺らがない。被爆を免れた昭和十年代の納品書が残っている。その仏壇の修復依頼があったという。
修復した仏壇を納めると心から喜ばれる。本当によかったと思うその瞬間は記憶に刻まれ、誇りとやりがいを生む。納骨堂の設置や寺院の修復も全国から依頼が届く。仏壇文化を守り抜く。
会社概要
株式会社三村松
本 社:広島市中区堀川町2-16
設 立:1958年5月(創業1865年)
資 本 金:52億4000万円(自己資本比率95.93%)
売 上 高:39億1906万円(2026年4月期)
従業員数:323人
事業内容:仏壇、仏具の製造と卸小売り
T E L:082-243-5321
U R L:https://www.mimuramatsu.co.jp/
※2026年9月当時の情報です。




