時代の変化に合わせた組織づくりでさらなる進化を

三幸食品工業株式会社

1.1960年代から託児所を開設するなど、安芸津地域に根差した雇用を実現

 三幸食品工業株式会社(以下、三幸食品工業)が本社を置く東広島市安芸津は、温暖な気候風土と湾の近くという土地柄、“海の幸・山の幸”などに恵まれており、冬には牡蠣やミカン、初夏にはビワなど四季を通じて農産物や水産物が豊富であることが有名だ。

 三幸食品工業は、1937年の創業時より地域の特産であるミカンやビワ、牡蠣を中心とした缶詰製品を製造していたが、時代の移り変わりとともに飲料製造にシフト。現在では炭酸飲料とアルコール飲料を中心に、受託製造(OEM)やオリジナル商品の開発と製造を行っている。

 三幸食品工業の特長として、夫婦そろって同社で働く従業員が多いことが挙げられる。その理由の一つを、自身も夫婦で勤務し、2人の子を育て上げた経理・総務の青木チームリーダーは、
「会社に併設した託児所があったから、育児しつつ仕事ができた」
と話す(青木さんについては後述)。三幸食品工業では1966~2000年までの間、1歳から小学生までの子供を対象とした託児所を従業員の勤務時間に合わせて運営していた。ミカンの収穫時期には周辺地域からも子供を受け入れ、最大で20数名ほどを預かっていた。(なお、現在は預かる子どもの減少等により、託児所の運営を行っていない。)

 従業員数51名の同社には、5組の夫婦、中には親子で就業している例もあり、安芸津地域に根差した企業といえる。

2.新卒で入社し、管理職に登用された女性が将来のための組織づくりに邁進

 79年に三幸食品工業に入社した青木さんは、現在、経理・総務のリーダーとして活躍している。入社後は、受付や各種事務を担当し、81年には第一子、翌82年には第二子を出産した。
「当時、安芸津周辺では“子供ができたら仕事を辞める”という風潮がありましたが、家族や地域の方々、そして会社の協力や託児所があったので、働き続けることができました」
と青木さんは当時を振り返る。出産後1カ月で職場復帰し、子供は祖母または知り合いに預けて、働いた。そして、1歳になると会社の託児所に入所できたという。

 業務においては高校で学んだ簿記の知識を生かしつつ、経理業務を担当した。当時、関係会社であった三幸物産や三幸倉庫の経理や資材関連業務など多岐にわたる分野の経理や事務を担当してきたそうだ。

 生き生きと働いていた青木さんだが、00年に三幸食品工業が大口の取引先からの契約解除を受けるという経営上の危機が発生し、今まで担当してきた業務が全てなくなってしまった。
「収益源がなくなり、多くの仲間が会社を去りました。私も仕事を続けてもいいのかな、と悩む日々が続きました」
と当時を振り返る。

 そのような逆境の折、三幸食品工業は日本酒メーカーからの発注を受け、リキュール製造免許の取得に乗り出した。アルコール飲料の出荷のためには酒税に関する諸手続きが必要となり、この業務に携わることで青木さんは徐々に仕事に対する意欲を取り戻していった。

 15年には経理・総務のリーダーへと昇格。今、青木さんが目標としていることは男女問わず働きやすく、青木さんが退職した後も末永く発展し続ける会社づくりを目指し、サポートするということだ。
「私は定年を迎える5年前に役職が付きましたが、もう少し若いうちに役職に就きたかったと思っています。それまで役職なんて不要だと思っていましたが、あるとないとでは大違い!会社に対して意見を述べやすくなりましたし、業務改善活動を行いやすくなりました。これからは若い人に活躍してほしい、若い人にこそ役職についてほしい。在任期間は残り2年ですが、働きやすい職場づくりを進めていきたいです」
と力強く意気込みを教えてくれた。

3.若手にとっても魅力ある職場づくり実現のために

 00年の苦境を受け、長らく新規採用を行っていなかった三幸食品工業ではあるが、業績が安定してきた10年頃から、積極的に新卒や中途採用活動を行っている。その結果、新卒の女性2名・男性3名、さらに中途の女性5名・男性9名の採用に成功した。中途採用のうち男女2名は開発部門に配属されているが、そこには三幸食品工業の経営方針が大きく関わっている。他企業からの受注生産だけでなく、多角的な経営を行うために自社製品も開発するよう舵を切り、「さまざまな顧客のニーズに合わせるため、開発担当には男女を配置する」という同社の考えがある。

 新卒採用を再開し、従業員の平均年齢が若返りつつある。そのため、これから結婚・出産・育児といったライフイベントを迎えるであろう若い従業員に対する制度や仕組みが必要となってきた。三幸食品工業では青木チームリーダーを中心に、働きやすい職場づくりに向けて、改革を進めている。時代の移り変わりとともに業務形態を変え、逆境も乗り越えた三幸食品工業がこれからどのような働きやすさを築き上げていくのかが楽しみである。

取材担当者からの一言

 青木さんの「もう少し若いうちに役職に就きたかった」という一言がとても印象的であった。管理職になって裁量の幅が広がり、ある程度は上に伺うことなく、自分の考えで行動し、会社を良くすることができるからという。また、これからは若手へバトンを渡すための土台づくりに全力を尽くすという。

 他にも青木さんと同時期に、同じく子育てしながら働いてきた女性1名が管理職として登用され、会社を支えている。00年以前は会社に託児所が併設されていたなど、トップの理解があったからこそ、女性従業員が管理職として成長できたのだろう。

 三幸食品工業では、安芸津に住む従業員が、会社の託児所や地域住民、そして家族の力を借りながら勤務し続けてきたが、道路状況の改善等により、安芸津以外から三幸食品工業へ通う従業員も増えたという。新しい人材を雇用するチャンスであるが、裏を返せば、安芸津地区から他地域へと働きに出やすくなったといえる。

 時代に応じて業務形態を変化させたように、働きやすさも時代に応じて変えていかねばならない。若い世代の従業員を維持するためにも、働き方改革、魅力的な職場づくりが必要となるだろう。

●取材日 2018年12月

●取材ご対応者三幸食品工業株式会社
経理・総務チームリーダー 青木 和子氏

会社概要

三幸食品工業株式会社
所在地:東広島市安芸津町三津4215-3
URL:http://www.sanko-syokuhin.co.jp/
業務内容:1937年、東広島市安芸津にてミカンやビワの缶詰製造を行う会社として創業。現在は、炭酸飲料やアルコール飲料などの製造を行う。2012年にISO22000、2014年にはFSSC22000を取得した。
従業員数:51名
女性従業員比率:31.4%
女性管理職比率:25.0%
(2018年12月現在)

情報提供:広島県
(働き方改革・女性活躍発見サイト「Hint!ひろしま」http://hint-hiroshima.com