The Life.03【人生のとき】
東洋観光グループHD 代表 今井 誠則氏にインタビュー
◆ シリーズ「団塊の世代」|広島経済レポート 特別企画 ◆
人は城、人は石垣、人は堀。戦国時代の名将、武田信玄の言葉として伝わる。いつの時代も人の集団を統べるリーダーの心得といえよう。いくら堅固な城を築こうと、人が去ってしまうと滅びる。今井さんは「社員、人なくして何事も成し得ない」と言う。社員がトップを信頼し、みんなが一丸となれるか、そう簡単ではない。経営の最終責任を背負って40年以上。その後姿をつぶさに見てきた確信がないと組織、社員から信頼を得ることはできない。社員とは家族同様に接し、おおらかな人柄や信条も周囲を引きつけるのだろう。
ホテル経営から飲食、レジャー分野まで、広島の観光関連産業を引っ張ってきた創業者で実父の故今井廣さんから事業を継承した。グループ会社社長などを歴任し、入社から15年目に中核の東洋観光代表取締役に就く。広島国際ホテルをはじめ、大型投資と多角化で企業規模を拡大してきた創業者の機を見て敏な経営感覚、並々ならぬ事業才覚も引き継ぐ。しかしバブル崩壊後、急速な業績不振に陥り20年前のある日、地場金融機関から「今後、融資の継続は難しい」と通達を受ける。
―その後、Ⅴ字回復しました。
抜本的な経営改善を断行した。不採算店を次々閉め、リネンサプライや介護など業績が上がる事業領域へ経営資源を投入し、必死に巻き返しを図った。何よりも社内外の多くの人に助けられて窮地を脱することができた。
ピンチやチャンスの時に人との出会いがあり、振り返って不思議に思うことがたくさんある。私は日頃から感謝を込めて先祖、周囲の人々に手を合わせている。感謝の念が運を味方にしてくれるのかと思う。ここ10年は「天網恢恢疎にして漏らさず」(「老子」73章)という言葉に耳を傾け、その行いは正しいかどうか、わが胸に問いかけている。
親父は元警察官。難聴のせいで時間を聞き違え、昇進試験を受けさせてもらえなかったことに、ふてくされて辞めてしまった。警察官を辞めた親父が創業し、万事塞翁が馬だったのだろう。ある本を読んでいると「迷った結果、どの道を選ぼうとも、その道を一生懸命に突き進めばいい」という一節があった。合点がいった。
1966年に中区立町の一角に都市型ホテル「広島国際ホテル」を開業し、話題を呼んだ。ここを中核に創業者が一代で東洋観光グループの土台を築き上げる。飲食や娯楽レジャー、冠婚葬祭の互助会、不動産賃貸、ロッジ経営、マツダの下請け(東洋工産)まで手掛け、グループ十数社を数える。
―経営者に大切なことは。
大きく分け、経営者のタイプは二つあるように思う。「俺についてこい」と強いリーダーシップを発揮するタイプ。もう一つはいわば「神み こ輿しに乗る」タイプ。私はできるだけ現場の裁量に任せるようにしている。経営の方向性や継続性などの勘所をよくよく探り、最終的に決断する。それが組織として有効に機能していくのではないだろうか。経験から学んだことを生かすように努めている。
ダーウィンの進化論が示すように、変革なくして生き残ることはできない。綿々と家業にしがみついているとやがては潰れてしまうか、細々と生きながらえるほかない。同じことを漫然と続けているといつか世の中から飽きられる。市場が求めているものを提供していくマーケットインの考え方が大切だと思う。
経営者の資質を三つ挙げるとすれば「運」「鈍」「根」ではないか。感謝を忘れず「運」を引き寄せる。時に片目をつぶり、あえて「鈍」感力を働かせる。たじろぐことのない根性、根気の「根」を鍛える。決してあきらめない、踏ん張りどきがあるように思う。
1972年、レストランシアターをやろうということになった。舞台がせり上がる仕組みで当時、話題になった。検番の救済策で芸妓を呼んだものの時代に合わなかったのか、一世を風靡した大型キャバレーは斜陽になり、宴会場にしたところ大当たり。ボウリング場は長蛇の列だったが、わずか半年でガラガラに。事業の盛衰を目の当たりにしてきた。
―先代が築いた基盤をさらに発展させました。
時代の潮流に乗ったものもあれば、潮の変わり目を読み切れなかったため、うまくいかなかったものもある。飲食と宿泊業にとってコロナ禍は非常に厳しかった。一方で、清掃用具や衛生用品のレンタル・販売の西日本リネンサプライ、福祉用具のレンタル・販売や介護サービスの日本基準寝具は需要を受けて好調に推移している。高齢化が急速に進む中、必要とされるサービスは何か。そこに成長の芽があり、ここぞという時に間髪入れず経営資源を投入する。それぞれの分野にいい時も悪い時もある。グループ企業として相互に補完、刺激し合う組織で地域に役立ちたい。
われわれの世代は人口の絶対数が多い分、競争が激しく個性豊かな人が多かった。自力で生きる力を身につけ、それなりに健全だったのではなかろうか。ゆとり教育のせいか、競争することに否定的な風潮も見受けられる。若い人らが個性を発揮する、その機会が失われていくと世界的な新しい潮流から取り残されはしないか。これからの日本に一抹の不安を感じないではいられない。いつの時代も若い人たちの躍動が将来を切り開いていく原動力だと思う。
趣味を問うと「飲んだり食べたり」。茶目っ気ものぞく。飽きさせない話術、心を通わせる社交の場になっているよう。酒を酌み交わす間柄になってこそ人の輪が生まれるという。
―2008年当時、広島商議所の観光文化委員会委員長として夜神楽を推奨されています。
夜のにぎわいなくして、明日の繁栄なし。私の持論で、夜神楽もその一つ。神楽団は広島県内だけで200団を下らない。各地域で活動を継承しているが、その多くは有志やボランティアの力で支えられている。観光資源として根付かせるにはプロ集団をつくるべきだと思う。毎日公演する常設施設があるといい。夜神楽は夜通し舞い、飲んで五穀豊穣を神に感謝する伝統の文化。滞在型の観光資源として育てるには経済界、市民の支えも必要だろう。
―受章で陛下に拝謁されました。
面を上げてはならないと事前の達しがあったが、ソロリと拝顔した。自然と涙がにじんだ。天皇というお立場を全身で受け止め、使命を全うする覚悟がひしひしと伝わってきた。貴重な時間でした。
座右の銘
「天網恢恢疎にして漏らさず」天の網は大きく粗いようだが決して見過ごすことはない。善悪をわきまえる教訓であるが、争わずして相手に勝ち、物言わずして相手を感化し、招かずとも相手が自然と来るようにするという趣旨が続く。
今井 誠則(いまい・まさのり)
1966年 広島修道高校卒
1969年 立教大学卒業、東洋観光入社
1979年 西日本リネンサプライ社長就任
1984年 東洋観光社長同
1988年 日本基準寝具社長同
2009年 藍綬褒章受章
2017年 旭日双光章受章
公職=1995〜2001年・04年〜広島商工会議所常議員(01〜04年副会頭)、18〜19年ライオンズクラブ国際協会336C地区ガバナーをはじめ広島県及び西日本ソフトテニス連盟会長など多数。
広島経済レポート2023年7月27日号 / 取材:2023年7月
シリーズ「団塊の世代」
会社概要
東洋観光グループHD
所在地:〒730-0026 広島市中区田中町2-10
設 立:1954年7月
売上高:190億円(2022年7月期連結)
従業員数:2,259人(2022年7月期連結)
事業内容:リネンサプライ・電動ベッド・車椅子・福祉用具等
URL:https://toyokanko-g.co.jp/
※2023年7月当時の情報です。