創業160年、伝統をつなぐ
仏壇に向き合う心を伝える
株式会社三村松
多様化に応えるグローバル生産体制
慶応元年(1865年)、初代「三村屋」嘉助(かすけ)が副業で始めた仏壇・仏具の商いから160年を迎えた。二代目の元次郎(もとじろう)が製造卸として現在の礎を築き、現社名の由来となる三代目松次郎(まつじろう)が金仏壇の一大生産地として広島仏壇業界のリーダー的地位を担って、事業を拡大。
国内最大級の仏壇メーカーに成長を遂げた現在、生活様式の変化など時代に必要とされ続ける新たな一方を踏み出している。
苦難を乗り越え
四代目の繁己(しげみ)時代。原爆で店も自宅も全てを失った。繁己は多くの職人たちの再興の願いを背負い、ゼロからの再起を図る。その功績は、伝統的工芸品産業功労者として通産大臣(当時)から表彰された。
繁己の背中を見て育ち、高度成長期に五代目を継いだ邦雄社主が、家内工業だった仏壇づくりの近代化を図る。時代の潮流を受け、製造・販売・物流を次々と整備し、安定した品質で量産できる体制にした。広島工場をはじめ鹿児島や宮崎のほか中国やベトナムにも工場を新設。当時の〝品不足〟を一気に解消した。
変わる仏壇需要
現在は広島中心に直営10店舗と全国卸の販売網を築き、信頼をブランドに伝統を継ぐ。得意とする伝統工芸の金仏壇は木地、狭間、宮殿、須弥壇、錺金具、漆塗・金箔押し、蒔絵の職人七匠の技で成り立つ。その主な需要層の浄土真宗の安芸門徒をはじめ、さまざまな宗派や地域で異なる仏壇も一手に引き受ける。
七匠の技は、寺や神社の修復、近年増加傾向の納骨堂などにも生かされ、地域の文化・伝統、信仰を守る一助を担う。被爆した浄土真宗本願寺派広島別院の親鸞聖人厨子の修復も手掛け、献納。広島工場で漆を塗り替え、往時の輝きを取り戻した。
一方で、生活様式や価値観の変化、核家族化などが進み、伝統型の仏壇市場は先細る見通しだ。マンションの増加などに伴い、コンパクトでシンプルな〝モダン仏壇〟のニーズが年々高まっている。本店は300本の仏壇をそろえ、隣接のショールーム機能を備えた「和の工芸館」はインテリアのようなモダンな仏壇が展示リビングに収まり、日常的に手を合わせる生活空間を提案する。
心のよりどころに
金仏壇製造出荷本数は2024年も日本一を冠し、連続45年(宗教工芸新聞調べ)。全国伝統的工芸品仏壇仏具展(伝統的工芸品産業振興協会などの主催)の受賞歴も多い。23年は、新デザインと伝統意匠の両部門で中小企業庁長官賞をダブル受賞。職人の高齢化が進むが、若手の技量も磨きがかかっている。
時代が移ろうと、六代目の和雄社長は信仰とともに受け継がれてきた伝統の慣習や技を守る覚悟だ。「手を合わせる日本の精神文化は尊い。今後も変わらないし、心のよりどころとなるはず。元々、寺を模したミニチュアで仏様を祀る仏壇は、伝統様式に則ったそれぞれの意匠に意味がある。専門店として仏壇の知識や本来の在り方、伝統を継承し、職人を守っていきたい」。生産~営業効率を向上させるIT化や、満足してもらえる接客、何よりも品質の良い丁寧な仏壇づくり・修復を進める。
仏壇づくりは為替や海外情勢などにも気を抜けない。インドから伝わった仏教は元来、グローバルの風をまとうと和雄社長。時代の風を読み、伝統と需要の橋渡し役を担う。
会社概要
株式会社三村松
本 社:広島市中区堀川町2-16
設 立:1958年5月(創業1865年)
資 本 金:48億4000万円(自己資本比率95.6%)
売 上 高:39億9757万円(2024年4月期)
従業員数:346人
事業内容:仏壇、仏具の製造と卸小売り
T E L:082-256-0001
U R L:http://www.mimuramatsu.co.jp/
※2024年9月当時の情報です。